大学入試から考える大学の在り方
この記事をキッカケに考えた、日本の大学入試に関して考えたことを、書いてみようと思う。
現在の大学の在り方が続くのであれば、センター試験廃止については賛成というか、当たり前だと思う。遅すぎるくらいだ。
何故なら大学側はセンター試験で高得点を取れるような生徒を望んでいるとは思えないからである。
僕は試験制度を疑問視する意見に関してはもう聞き飽きている。
現在の教育を改善しようとすると、議論が試験制度に及ぶことが多い。
もちろん、今の試験制度が適切だとは全く思わない。
何故適切ではないか、理由を挙げようとするとキリがない。
しかし僕は増えすぎた大学側が変わっていかなくてはならないと考えている。
海外の大学に詳しいわけではないが、少なくとも日本の大学は、極端なことを言うと『偏差値』という個性しかない。
細かい話をすれば「公立か私立か」「通えるかどうか」「行きたい学部があるかどうか」それくらいの個性はあるだろうが、その程度の個性はここでは問題外である。
大学側はダラダラと、入学して欲しい生徒像などを語っているが、結局は受験者の中から偏差値の高い人間を選ぶだけだ。
別に偏差値を批判しているわけではない。
もちろん、偏差値の高い生徒が欲しいという大学があっても、全く問題はない。
しかしここで問題なのが、偏差値という個性『しか』ないことだ。
現在、日本で最も偏差値の高い大学は東京大学だろう。
つまり現在の偏差値という個性しか備えていない大学の中ではトップが東京大学で、それ以外の大学は劣ることになる。
企業側が欲しい人材は偏差値が高い人間ではないことは明らかだが、偏差値という個性しか備えていない大学の中から採用する事を考えると、高学歴な人間を採用するのは頷ける。
ここで話をこの記事の冒頭に戻す。
センター試験を廃止し、新たな試験制度を導入するということだ。
今のところはペーパーテストだけではなく、部活動の成績やプレゼンテーション能力や面接なども重視するという話である。
僕はこれでは今までとほとんど変わらないように思う。
偏差値という指標に部活動の成績や、プレゼンテーション能力、コミュニケーション能力といった新たな指標が加わるだけだ。
だから僕は大学側が変わっていかなくてはならないと考えている。
例えば、
コミュニケーション能力はないが読書が物凄く好きで、中でもSF小説に関しては誰よりも詳しい人。
勉強は全くできないが、パソコンオタクで、あっという間にどんなウェブサイトでも一人で創りあげてしまう人。
昆虫が好きすぎて、子供の頃から、他の勉強そっちのけで研究に没頭していた人。
僕は仮にこのような人たちがいたら、非常に魅力的に感じる。
しかし現在の試験制度でも、新しい試験制度でも、このような人たちは埋もれてしまうだろう。
何故なら今ある指標では評価できない能力を持っているからである。
ではどうすれば良いか。
理想的なイメージは、浮かんでいる。
それは大学側が多様性を持つことだ。
先程述べたとおり、偏差値で生徒を選ぶのも別に良いと思う。
しかし、人間性には問題があるが一つのことに没頭できる人や勉強は苦手だが魅力的な能力を持っている人を求める大学があっても良いと思う。
また得意分野に関わらず何か一つの分野で優れた能力を発揮できる人間を同じ大学に集めたら、どんな化学反応が起こるのか、想像しただけでもワクワクする。
最後に僕の考えを要約してみる。
別に試験制度なんていうものはどうでもいい。
大学側が個性ある理念を持ち、それに従って生徒を選ぶ。
そうすれば大学という環境は今までにない、化学反応が起こるかもしれない。
具体的な解決策を打ち出せないのは、僕の至らないところだ。
今後の課題でもある。
補足しておくが、もし仮にこの提案が実現したとすれば、大学職員の方々は物凄い苦労を強いられることは容易に想像がつく。
ここで議論するべきなのは、大学側は変わらなければならない前提で、職員の方々が被る苦労をどう解消するかである。
「そんなことしたら、大学側の負担が増えるだけじゃないか」という批判が出ると思われるので、補足しておいた。
今回は大学側の生徒の選び方にスポットを当てた。
しかし僕が教育問題において、最も関心があるのは幼少期の教育だ。
そのうちにそういったテーマで考えて、記事を書いてみようと思う。